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2007年03月13日

ガロ/青林堂

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ガロ/青林堂の概要

『ガロ』は1964年、それまで貸本漫画の出版などで知られていた編集者、長井勝一により創刊された。当初の目的は、その題材・内容とスケールから連載する場所が無かった白土三平の『カムイ伝』の連載の場として、ということが最大であったが、同時に活躍の場を失いつつあった貸本漫画家と新人発掘のためという側面もあった。なお、誌名の由来は白土の漫画に登場する忍者の名前から取られた。

当初は白土三平の赤目プロの援助を受けて創刊され、手塚治虫の虫プロ商事による後発の『COM』と共に全共闘時代の大学生に強く支持されていった。商業性よりも作品を重視、オリジナリティを何より第一としたため、編集者の干渉が比較的少なく、作家側にすれば自由に作品を発表出来たため、新人発掘の場として独創的な作品を積極的に掲載した。このことは、それまで漫画という表現を選択することのなかったアーティストたちにも門戸を開放する結果となり、ユニークな新人が続々と輩出されるようになった。

長い不遇の時代

しかし1970年代に入り、1971年に『カムイ伝』が終了すると『ガロ』の売上は徐々に下降線をたどるようになる。当時編集部に在籍していた編集者であった南伸坊や渡辺和博らが一時編集長となり、面白ければ漫画という表現に囚われぬという誌面作りを提唱(=「面白主義」)。結果何とかサブカルチャーの総本山的な立場として一目置かれつつも、単行本の売上で糊口をしのぐという状態が続いた。この時期大手出版社から買収の話も持ち上がるが、長井はこれを拒否したという。

1980年代に入ると部数は実売3000部台にまで落ち込み、社員ですらまともに生活ができないほど経営が苦しくなった。原稿料は長井による「儲かったら支払う」という「公約」のもと、すでに支払を停止せざるを得なくなっていた(その旨は作品募集の欄にも常に書き添えられていた)。それでも長井社長を支持する歴代の作家陣などの精神的・経済的支援と強い継続の声により、細々ながら刊行は続く。そして読者は一部のマニア、知識者層、サブカルチャーファンなどへと限られていった。その一方で「『ガロ』でのデビュー=入選」に憧れる投稿者は依然多く、部数低迷期にあってもその中から数々の有望新人を発掘していった。この時期は完全に単行本の売上によって雑誌の赤字を埋めるといういびつな体制になっており、社員編集者たちは『ガロ』以外の媒体からいかに単行本を刊行させてくれる作家を見つけるか、また実際に編集の合間に営業や倉庫の在庫出しや返品整理をするなどして、『ガロ』を支え続けた。

新世代の『ガロ』

1990年代に入ると、長井が高齢と経営悪化を理由に、『ガロ』や青林堂の売却を周辺に漏らすようになる。長井周辺では、関わった作家や編集者などが、できるだけ長井と当時の編集者たちによる体制を維持できる譲渡先を探ることに奔走することになる。その中で、PCソフト開発会社のツァイトを経営する山中潤が浮上、長井らと数回の会談の結果、彼が青林堂の経営を引き継ぐこととなる。山中は長井勝一と『ガロ』、青林堂は三位一体であると改めて確認し、そのかたちを維持させながら、慎重に会社としての経営、財務と営業、また出版社としての編集体制などを建て直すことに着手する。

こうして1992年に山中が編集長に就任してからは、『ねこぢるうどん』や『南くんの恋人』のヒットや映画のタイアップ企画などで単行本が好調となり、また本誌の売り上げも「名作劇場」や「特集」の導入、サブカルチャー情報を大量に掲載するなどして向上させた。経営母体となるツァイトでも『ガロ』の漫画をPCゲーム化、1994年には青林堂とツァイトとの共同で映画『オートバイ少女』を製作するなどメディアミックスを積極的に展開し、原稿料も幾らかは支払われるようになった。この時期の『ガロ』はページ数もさることながら、全体に対する文章の占める割合がかなり増え、サブカルチャー情報誌としての性格が強くなっていった。

内部の軋轢、そして倒産へ

順風満帆に見えた『ガロ』であったが、親会社のツァイトがPCソフトのプラットフォームがMS-DOSからWindowsへと変わる時代の変化に乗り遅れ、経営が徐々に悪化する。また1996年には創業者であり、長年名物編集長として『ガロ』・青林堂の顔であった長井が死去する。その後、来るべきインターネット時代を先取りし、1997年当時としては画期的であったインターネットとコミックの融合雑誌『デジタルガロ』(編集長・白取千夏雄)刊行に着手する。だが編集部内では、インターネットを『ガロ』にはそぐわないものとする守旧派と白取ら推進派が対立し、結果白取は『ガロ』副編集長のままツァイトへ移籍して『デジタルガロ』の編集にあたるという、変則的な事態を迎えることとなった。

この先見的な試みは、山中社長が強引に搬入部数を10万部まで増やしたため結果的に失敗(最終的な実売は15000~18000部)に終わり、大赤字を出すこととなった。しばらくして山中が体調を崩したため、山中と旧知の仲であるコンピュータ業界の先輩・福井源が社長代行となったが、元々山中体制に不満を抱えていた手塚能理子(当時青林堂取締役)以下の社員が結託し、事前連絡も無いまま保管してあった作家の原稿を持ち去り、一斉に退社するという事件が発生する。同時に彼らはマスコミや取引先に「青林堂は乗っ取られた、版元として終わった」と吹聴し、怪文書を各方面へ散布する。マスコミはその怪文書やデマに追従した報道体制をとったため、青林堂と経営母体であるツァイトには大きなダメージが出た。

事件以後の『ガロ』

結果それがきっかけとなりツァイトは倒産し、『ガロ』は休刊に追い込まれた。その後、幾度か経営者や編集者を変えつつ復刊・休刊が繰り返されたが、大和堂社長・蟹江体制となりオンデマンド版(いわゆるネット上での通販)として販売形態が変更されてからは1号のみ刊行されただけで、それ以降は事実上休刊状態である。

また1997年に退社した手塚能理子ら元社員達は、退社後すぐに新会社「青林工藝舎」を設立して『ガロ』の後継を称し、隔月刊漫画雑誌『アックス』(AX)を発行している。執筆陣は旧ガロの漫画家や新人などによる。彼らの退社当時の違法と思われる行為は、結局青林堂とツァイトの混乱の中、罪に問われることなく時効となった。

『デジタルガロ』は白取編集長がWeb版をボランティアで継続させていたが、経済的事情から存続が難しくなり自然消滅した。

『ガロ』はその先見性と独自性で一時代を画した、単なる漫画雑誌ではない足跡を出版界に遺した。だが、最後はその先見性が仇となり、内部崩壊を起こしたということは実に皮肉な結果といえるかも知れない。


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